レコーディングスタジオにて
11時にレコーディングスタジオへ向けて出発。明日のライブで共演するロシアのロックバンド・Night Snipersとのリハーサルと、新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングを行なうためです。Night Snipersの中心人物、Diana Arbeninaは昨年10月に来日し、宮沢のステージを実際に観て、対面もしています。昨年12月に宮沢が初めてモスクワを訪れた際には、彼らの「コシカ(猫)」という曲を宮沢が歌い、レコーディングしました。スタジオにはすでにテレビ局が2局来ていて、リハーサル中もレコーディング中もカメラが回っているという状況でした。
Night Snipersが演奏する「コシカ」に合わせて、宮沢とNight Snipersのボーカリスト、Diana Arbeninaが歌う。重厚なロックサウンド。かっこいい! 3回ほど合わせ、お互いに親指を立てて「OK!」の合図。宮沢は「このバンドは本当にいいバンドだ」と言っていました。
リハーサルを終え、テレビ局のインタビューを済ませ、「ひとつしかない地球」のレコーディングへ。これまで各国でゲストの歌をレコーディングしてきたこの曲、今日はDianaの歌が新たに入ります。Dianaの素晴らしい日本語と、彼女がロシア語に訳した美しい詞はこの曲をさらに大きなものへと膨らませてくれる。歌入れもすぐにOKテイクが出ました。宮沢は「俺たちの旅が、この歌そのものだね」と。
レコーディングスタジオを出て、明後日のライブ会場でもあるクラブB2で行なわれる記者会見へ。なんと40社以上、80名近くの記者が集まっていました。ロシアだけでなく日本からも新聞社・テレビ局などが来ています。
まずロシアの記者に向けての宮沢とDianaとの共同会見。そこでは、宮沢に「ディアナとの出逢いについて」「ロシアのロックについてどう思うか?」などの質問が。それに対して宮沢は「人と約束できるようなロックがロシアにあるんじゃないか、と想像していましたが、彼女との出逢いでそれを確信しました」と答えていました。北方領土についての質問には「日本の国土は非常に狭いし、そこにたくさんの人が住んでいます。東京の人口密度はこの会場ぐらい高いと思います。ください(笑)。でも冗談抜きに、お互いの国でなにかを一緒にするスペースにならないかな、と思います。(東京から)モスクワは遠い街ですが、ロシアという国は日本から非常に近い隣の国ですし、なにかを一緒にやることができる架け橋の島になるといいんじゃないかと思っています。例えばロックフェスティバルをやるとかね」と答えたのがこの日一日で最も印象的な出来事でした。ディアナもその質問に対して答えていたのですが、ロシア語だったので解らず…。ごめんなさい。
続いて日本のメディアによる合同インタビュー。どのメディアも「本当にすごいことになっていますよ!」と興奮している様子で、中でもフジテレビの特派員の方は「t.A.T.u.も含めて暗い話題しか日本に提供できなかったこの国ですが、今回のニュースは本当に画期的です。ライブの翌日に日本に配信することが決定しました!」と意気込んでくれていました。ライブ翌日の「スーパーニュース」や「とくダネ!」、「めざましテレビ」等で流れる可能性があるそうなので、みなさんもお楽しみに!
街中にはライブを告知するアドボードが立っています
とても有意義だった会見の後は、日本大使公邸での夕食に招待されました。荘厳な建物の中でなつかしい日本食をいただく。公邸では野村駐ロシア大使夫妻があたたかく出迎えてくれました。野村大使は沖縄サミットの時に沖縄大使を務めていらっしゃったそうで、食事の席は沖縄の話で盛り上がりました。
そして久々に頂く日本食。ほんとーに幸せでした。帰り際に大使夫人は「宮沢さんって素敵な人ね」と言ってくれました。私も「ええ、そうなんです! 否定しません(笑)」と言っちゃいました。ともあれ、あー緊張した!
11時にレコーディングスタジオへ向けて出発。明日のライブで共演するロシアのロックバンド・Night Snipersとのリハーサルと、新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングを行なうためです。Night Snipersの中心人物、Diana Arbeninaは昨年10月に来日し、宮沢のステージを実際に観て、対面もしています。昨年12月に宮沢が初めてモスクワを訪れた際には、彼らの「コシカ(猫)」という曲を宮沢が歌い、レコーディングしました。スタジオにはすでにテレビ局が2局来ていて、リハーサル中もレコーディング中もカメラが回っているという状況でした。
Night Snipersが演奏する「コシカ」に合わせて、宮沢とNight Snipersのボーカリスト、Diana Arbeninaが歌う。重厚なロックサウンド。かっこいい! 3回ほど合わせ、お互いに親指を立てて「OK!」の合図。宮沢は「このバンドは本当にいいバンドだ」と言っていました。
リハーサルを終え、テレビ局のインタビューを済ませ、「ひとつしかない地球」のレコーディングへ。これまで各国でゲストの歌をレコーディングしてきたこの曲、今日はDianaの歌が新たに入ります。Dianaの素晴らしい日本語と、彼女がロシア語に訳した美しい詞はこの曲をさらに大きなものへと膨らませてくれる。歌入れもすぐにOKテイクが出ました。宮沢は「俺たちの旅が、この歌そのものだね」と。
レコーディングスタジオを出て、明後日のライブ会場でもあるクラブB2で行なわれる記者会見へ。なんと40社以上、80名近くの記者が集まっていました。ロシアだけでなく日本からも新聞社・テレビ局などが来ています。
まずロシアの記者に向けての宮沢とDianaとの共同会見。そこでは、宮沢に「ディアナとの出逢いについて」「ロシアのロックについてどう思うか?」などの質問が。それに対して宮沢は「人と約束できるようなロックがロシアにあるんじゃないか、と想像していましたが、彼女との出逢いでそれを確信しました」と答えていました。北方領土についての質問には「日本の国土は非常に狭いし、そこにたくさんの人が住んでいます。東京の人口密度はこの会場ぐらい高いと思います。ください(笑)。でも冗談抜きに、お互いの国でなにかを一緒にするスペースにならないかな、と思います。(東京から)モスクワは遠い街ですが、ロシアという国は日本から非常に近い隣の国ですし、なにかを一緒にやることができる架け橋の島になるといいんじゃないかと思っています。例えばロックフェスティバルをやるとかね」と答えたのがこの日一日で最も印象的な出来事でした。ディアナもその質問に対して答えていたのですが、ロシア語だったので解らず…。ごめんなさい。
続いて日本のメディアによる合同インタビュー。どのメディアも「本当にすごいことになっていますよ!」と興奮している様子で、中でもフジテレビの特派員の方は「t.A.T.u.も含めて暗い話題しか日本に提供できなかったこの国ですが、今回のニュースは本当に画期的です。ライブの翌日に日本に配信することが決定しました!」と意気込んでくれていました。ライブ翌日の「スーパーニュース」や「とくダネ!」、「めざましテレビ」等で流れる可能性があるそうなので、みなさんもお楽しみに!
街中にはライブを告知するアドボードが立っています
とても有意義だった会見の後は、日本大使公邸での夕食に招待されました。荘厳な建物の中でなつかしい日本食をいただく。公邸では野村駐ロシア大使夫妻があたたかく出迎えてくれました。野村大使は沖縄サミットの時に沖縄大使を務めていらっしゃったそうで、食事の席は沖縄の話で盛り上がりました。
そして久々に頂く日本食。ほんとーに幸せでした。帰り際に大使夫人は「宮沢さんって素敵な人ね」と言ってくれました。私も「ええ、そうなんです! 否定しません(笑)」と言っちゃいました。ともあれ、あー緊張した!
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by miyazawa-sick05
| 2005-02-09 22:50
ブロツワフのホテルを10時に出発。外は-10度の世界。寒いけど天気が良いので、本当に気持ちが良い朝。凍える手をこすりながら、荷物をバスに運んでいく。ブロツワフの街を流れるオドラ川は凍っていました。この美しい街ともしばらくお別れ。でも必ずまた来るぞ!
ブロツワフ空港からポーランドの首都ワルシャワへ。ワルシャワではトランジットのため約4時間の待機。その時間を利用して、宮沢とエアポートホテルへ。なんと、2003年のワルシャワでのライブを観に来てくれた日本人学校の生徒さんたちが「ぜひ歌を披露したい」ということで、わざわざホテルまで来てくれたのでした。見覚えのある顔の子供たちだけど、この2年の間で背も伸びて大きくなっている。子供たちは「風になりたい」を合唱してくれました。とっても美しいハーモニー。歌い終わったあとで、「今度はぜひワルシャワでライブをやってくださいね」と言われ、あぁ、365日じゃ足りない――とまたしても思いました。
そしてついに飛行機はモスクワへ。覚悟してきた寒さも、ブロツワフよりも厳しくない感じ。気温を聞くと-7度。かなりびびって来ていた一行は少し拍子抜け。ま、ここで油断しちゃいけないんですけどね……。
バスに乗り、想像以上にネオンが明るく光るモスクワ市街を抜けて、ホテルに到着。見かけは重厚な感じだけど、使い勝手はあまり良くなさそう……。荷物を置いて、夕食へ。乗り込んだバスの中で、またもやサプライズが! なんと今日はベースのtatsuさんの誕生日だったのです! バスの中で「Happy Birthday Dear tatsu!」が響き渡る。バスを降りたtatsuさんは「モスクワで誕生日をみんなに祝ってもらうなんて、きっと一生忘れないな」とつぶやいてました。私も一生忘れません!
※この日、ヴロツワフ空港で行なわれたtatsuさんへのインタビューをこちらでご覧になれます。
ブロツワフ空港からポーランドの首都ワルシャワへ。ワルシャワではトランジットのため約4時間の待機。その時間を利用して、宮沢とエアポートホテルへ。なんと、2003年のワルシャワでのライブを観に来てくれた日本人学校の生徒さんたちが「ぜひ歌を披露したい」ということで、わざわざホテルまで来てくれたのでした。見覚えのある顔の子供たちだけど、この2年の間で背も伸びて大きくなっている。子供たちは「風になりたい」を合唱してくれました。とっても美しいハーモニー。歌い終わったあとで、「今度はぜひワルシャワでライブをやってくださいね」と言われ、あぁ、365日じゃ足りない――とまたしても思いました。
そしてついに飛行機はモスクワへ。覚悟してきた寒さも、ブロツワフよりも厳しくない感じ。気温を聞くと-7度。かなりびびって来ていた一行は少し拍子抜け。ま、ここで油断しちゃいけないんですけどね……。
バスに乗り、想像以上にネオンが明るく光るモスクワ市街を抜けて、ホテルに到着。見かけは重厚な感じだけど、使い勝手はあまり良くなさそう……。荷物を置いて、夕食へ。乗り込んだバスの中で、またもやサプライズが! なんと今日はベースのtatsuさんの誕生日だったのです! バスの中で「Happy Birthday Dear tatsu!」が響き渡る。バスを降りたtatsuさんは「モスクワで誕生日をみんなに祝ってもらうなんて、きっと一生忘れないな」とつぶやいてました。私も一生忘れません!
※この日、ヴロツワフ空港で行なわれたtatsuさんへのインタビューをこちらでご覧になれます。
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by miyazawa-sick05
| 2005-02-09 22:45
午前11時、宮沢和史はトメック・マコビェツキと共に、新曲「ひとつしかない地球」をヴロツワフ郊外のスタジオまでレコーディングに出かける。私はメンバーと共に会場に入るため、別行動です。
※レコーディング・スタジオでのインタビューはこちらです。
私はバンドメンバーと共に会場であるIMPART HALLへ。ここヴロツワフでは、2003年、ポーランドで初めてライブをするきっかけを作ってくれた八島さんが、この日のために3ヶ月も前からヴロツワフに移り住んでプロモーションをがんばって進めてくれました。さらにこの町に住む日本人や日本語を勉強しているポーランド人など、たくさんの人達がこの日のライブを手伝ってくれています。
開演。メンバーがステージに上がった瞬間から、すごい歓声が上がりました。すごいうねり。客席で聞く音も、明らかにこれまでの4会場の中で一番気持ちいい。さらに今日はプシェミシルから合流した照明スタッフ、清水淳さんの照明も思う存分堪能できてる。曲が進むに連れて、歓声はどんどん大きくなってくる。宮沢が「ドブリベーチェ!(ありがとう) プシェミシルから10時間かけてやってきました!」と言うと、「うぉ~~!!」という大歓声が。アウシュヴィッツに行ったことも話すと、再び大きな拍手が起こりました。
そして「島唄」。想像以上の大合唱。もう、ここがヨーロッパ、ポーランドの西の果てのヴロツワフという街であることをすっかり忘れてしまいそうになる。夢にまで見た光景。盛り上がる観客との相乗効果でバンドもどんどんいい演奏になっていく。
怒濤のアンコール。「シマウタ! シマウタ!」のコール。トメックを呼び込んでレコーディングしたばかりの「ひとつしかない地球」を歌う。ぴったり息が合っている。プシェミシルでのライブ、10時間の旅、そしてレコーディングを通じて、完全にトメックの中に歌が入り込んだようだった。
そして最後にもう一度「島唄」。客席は絶叫に近い歓声を上げていた。二階席の人達も全員身を乗り出して歌っている。最後は会場中700人が渦になっての大合唱! IMPART HALLの館長さんは淳さんに抱きついている(笑)。八島さんは、お客さんに混じって大声で歌っている。笑顔。
帰りのバスの中で、あまりに嬉しくて泣いていたら、「泣くのはまだ早いよ」とスタッフに言われ、はっとした。でも涙が止まらなかった。
ライブが終わって、全員でポーランド料理のお店で打ち上げ。八島さん、日本大使館の石原さんという、2003年に引き続いてポーランドでの道を創ってくれた2人はもちろん、プシェミシルからここまで同行してくれたIGAさん、そしてヴロツワフでの公演を導いてくれた、露草家族も来てくれました。露草夫妻は「ヴロツワフで宮沢さんのライブを観たい人はもっと居るはずです。今度はもっと大きなところでライブをやりましょう。その時にはぜひ協力させてください」と力強い言葉をくださいました。
こうやって沢山の人がこのライブの成功を支えてくれました。こんな町が、ポーランドだけじゃなくて、あっちこっちで出来ようとしています。あぁ、1年が365日というは宮沢にとってはなんてむごいことなんだろう!
みんな、名残惜しそうに、いろんな人達と話をしていました。トメックは、もう弟のように「MIYA! MIYA! 僕の部屋でまだ飲もうよ!」と部屋飲みに誘っていました(笑)。
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by miyazawa-sick05
| 2005-02-09 22:14